新標語「〜令和版〜一隅を照らす」のご提案

こんばんは〜

皆様ご無沙汰しております。

ブログを休止してから、ブログを書くことが、ちょっと気を付けないと罪になるのではないか?、みたいな心が芽生えていたようで、これだと自己表現する心のバランスが崩れ、体調にも影響してきておりますので…

やはり、自由に書いて良いんじゃないかなって。間違ったら訂正すれば良いし、傷つけたら謝れば良い。自由にノビノビ生きる姿を皆さんに見せて行きたいので、書きたいことがあったら、また書いてみようという気になりました\( ˆoˆ )/

天台宗の有名な言葉に、「一隅を照らす」「忘己利他(自分はさておき他人様に尽くしましょう)」という言葉があります。美しい言葉ですね。

美しい言葉ですが、ちょっと想像してみて下さい。

皆さんはこれを生涯ひたすらにやり続けたいですか?それをやり続けたあなたは幸せでしょうか?

うちのお檀家様で、あるお家に嫁入りし、舅さま姑さまの介護を立派にされ、舅さまと姑さまを看取られ、そのすぐ少し後に、ご自身が胸の病で亡くなられた、という例があります。

この方の人生は模範的で立派な生き方で、否定することはできませんが、今の時代の感覚からすると、介護はもう少し「良い加減」で良かったのではないか?という気がします。

「これこそが真っ当な人間のすることだ」という雛形に、そこまで忠実である必要はないのではないか?

昭和の時代までは、美徳、人格者の生き方が理想とされてきました。それこそ千年単位の年月で。

でも時代は変わりましたよね。時代が「戻った」というのか、もっと「良い加減」で良い。それよりも、そこまで理想通りにはできない自分を許し、自分の人生を楽しんで良い。

縄文時代って奇跡的に戦争が起きなかった時代と言われています。

歴史は詳しくありませんが、たしか千年どころか一万年単位で続いた永き平和の時代。この縄文文化を復活させる活動をされている方もいらっしゃいます。

どうして彼らは平和を享受できたのでしょう?

ポイントは多分

 

ーーみんなが自由気ままに生きていたから

 

ストレスがないんですね。

ストレス社会は、弥生時代から始まります。農業の開始により集団行動の強制力が強くなり、富と権力の配分という更なるストレスが生じたこと。

今じゃ日本では、人格だの人間性だの空気を読めだのというプレッシャーで、みんな生きているだけで人格者のグループから干される恐怖を無意識に持ちながら暮らしている社会。

テレビで犯罪だの虐待だの詐欺だのといったニュースを見て、そういう人たちを批判しつつ、自分はそっち側じゃないと安堵する日常。

もうみんな、そんなストレスと恐怖を緩めていく時代になりましたよ〜って言い始めている人は沢山いらっしゃいます♪♪♪

天台宗の教えは素晴らしいですが、長い歴史から見れば、たかだか1200年。

最澄さんもその時代の人々に合った教えとして、素晴らしい言葉を残されましたが、時代が変われば、教えの説き方も変わって然るべきと思います。

そこで、、、

 

「一隅を照らす」(自分の周りを照らそう)

 

という表現をチョイと変えまして

 

「まずはあなたがしあわせになろう」

 

あれっチョイとじゃなくて大分変わりましたか?いえそんなに変わってないでしょ笑

ポイントは、「一隅」の意味を「自分自身」と捉えること。

有名な仏教語に「無我」というのがありますよね。「自分は幻」。

自分なんて幻なんだから他人様に尽くすの?他人様だってその人自身から見れば「自分」でしょ?

「自分」とは何か?の一つの捉え方として、「自分」って、住所の番地みたいなものじゃないかなって。

自分の人生にとって、自分は世界の中心であり、宇宙の中心に位置しています。

だから、言ってみれば、あなたの番地は、「銀座の一丁目1番地」なわけです。

自分を忘れて他人に与え、自分がどんどん損を重ねて、知らず知らずの内にちょっとずつ心が傷ついて、人生の幸せ感が下がり、自分の価値が下がるってことは、銀座の一丁目1番地の地価が暴落していくってこと笑

一丁目1番地の価値が暴落したら、当然周りの地下も暴落し、日本全体が沈没します汗。

そうじゃなくて、一丁目1番地を住みやすく快適な土地に変えていけば、一丁目1番地の価値は上がり、日本全体の価値が上がるって理屈、信用できると思いませんか?

だ・か・ら、

 

「自分を幸せにしていくことが皆んなのためになる」

 

ということになるんじゃないかなぁって思います。

「お前は自分のことしか考えてないんか!?」というヤジが飛んでくることを恐れないで、まずはあなたが幸せになって良いんです。自分自身を許し愛し幸せにしてあげて下さい。

それが個人の安らぎと世界の平和をもたらす。意外と簡単な理屈。理屈は簡単だけど、僕も含めて皆んな中々実践できない。今までの習慣が中々拭い去れないから。でも、僕もできないなりに、もう新しい生き方を始めています。

皆さんはどうですか?惹かれませんか?自分を許し愛しもてなし自分を幸せにしていくことを目指す生き方。

それはどういう生き方?って言ったら、一言で言えば、いつもご機嫌でいるようにすること。ご機嫌でいるためにはどうしたら良いのか、を考え、ストレス要因を改善していくこと。

「まずはあなたがしあわせになろう」

それこそが一隅を照らすとイコールなのだと、天台宗のみんなに宣伝したいけど、受け入れないだろうな〜宗派の中心に近い頭の硬い人たちは汗…なんて言ったら却って失礼かな…?

余談ですが、「一隅を照らす」は「千一隅を照らす」だという説もありますよね。つまり、「私(一隅)を照らすことは皆んな(千隅)を照らすことだ」ということになる。

 

…長くなりましてスミマセン。最後までお読みいただいた方、ありがとうございます。