こんばんは〜
何か描きたくなったので書きます笑
2歳の息子とお風呂に入っていたら不意に息子が
「気持ち良〜〜〜い」
どこでそんな言葉を覚えたんだろう驚く前に、
そうだよな〜自分はお風呂でそう思えてなかったなって汗
とにかく子供達をお風呂に入れるのに必死で、自分がお風呂に入っている瞬間を楽しむことが全くできてなかったなって…。
赤ちゃんとか小さい子って、快か不快かしかないですよね。
でも大人は、善とか悪、正しいとか間違ってるで行動する。
大人は、善悪を覚える代わりに、快不快に鈍感になる。
快不快は本音で、善悪は外からやってきたもの。
善悪をわきまえて行動する人は人格者と呼ばれたりするけれど、人格者は果たして幸せなのか…?
人格者がもてはやされる社会で、目に見えないストレスが蔓延しているのではないか…?
人格者の部類に入る代表の一つが「お坊さん」だけれど、世のお坊さんたちが特別幸せには見えない。むしろ目に見えないストレスが多い気がするくらい。
お坊さんが幸せでないなら、お坊さんが説く幸せは、絵に描いたモチなのではないか…?
「気持ち良〜〜〜い」が言えなかった今の自分も、もっともっと幸せになれるはずだ。
子供をお風呂に入れる義務や責任をさておき、今この瞬間を味わうのだ。
…
お坊さんにありがちな行動パターンの一つが、自分が少し嫌な思いをしても、他者のためになる行動をする。
そうしてちょっとずつ自ら損を取り、不快を受け入れ、それが人間としてあるべき姿だなどと本音を誤魔化し、
つまり、
自ら進んで自分にちょっとずつ痛みを与え続けるという自傷行為を行い、その痛みを、人間として「正しさ」によって麻痺させ続ける。
それが積もり積もって、心や体が病気になっているのではないか…?
例えば、それが礼儀だから、いただいた食べ物は嫌いなものでも残さず食べる。お腹いっぱいでも調子が悪くても無理して食べる…。
礼儀よりも大事な教育ってあると思う。
「自分を大切にすること」
もうこれしか必要ないんじゃないかって思うくらい。
自分がいつも快適で、自分が好きで、幸せいっぱいだったら、誰かを無意味に傷つけたくなるだろうか?
他人を傷つけないことを教える必要はなく、ただ自分を大切にしていればいい。自分が楽しくあればいい。
それには、自分の本音、快不快といつも共にあることだ。
…
そのようにして、この地球が楽園であることを、みんなで思い出していく、そんな令和の時代になっていけば良いなって思う。